長棟式水琴窟のある寺社仏閣
水琴窟の音色に耳を傾ける参拝者 |
天柱山安国頼久寺は、臨済宗永源寺派に属し、その草創は不詳であるが、 暦応2年(北朝年号1339年)足利尊氏が再興して備中の安国寺と号した。 後に永正年間(1504年)備中松山城主、上野頼久公は寺観を一新した。 頼久公は、大永元年に逝去したので、頼久の二字を加えて安国頼久寺と寺号を改称した。 平生はただ頼久寺と呼んでいる。 |
頼久寺の庭園は、蓮莱式枯山水庭園で、愛宕山を借り景し白砂敷の中央に鶴島、 後方に亀島の二つの低い築山状の島を置いて石を組み書院左手の山畔に沿ってサツキの大刈込みで青海波を表現したお庭である。 水琴窟の創始者といわれる小堀遠州公の作庭によるもので、 昭和49年に国の名勝庭園に指定された。 |
江戸時代初期の正保2年(1645年)、常陸国笠間藩より転封となった浅野長直が 播磨の国赤穂藩・浅野家、永井家、森家歴代藩主の菩提寺であり、 |
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泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田に創立した曹洞宗の寺院です。 しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。 そして現在の高輪の地に移転してきました。 時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利、浅野、朽木、水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺は出来上がったのです。 |
義士に敬慕の念を込めて水琴の音を捧げる |
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義士への鎮魂 |
兵庫県加東市にある大きな経塚を守っているお堂です。 熱心な信者さんにより水掛け水琴窟が奉納されました。 |
平成26年 秘仏本尊薬師如来の60年に1度の 御開帳の年に水琴窟を設置しました。 徳山神積寺は内供奉慶芳上人が開山。 |