水琴窟とは

水琴窟は江戸時代初期の著名な茶人で作庭家である小堀遠州が18歳の時、 茶の師匠である武士・古田織部を茶会に招き、茶席入りする前に手洗いや 口をすすぐお湯の排水場である蹲踞(つくばい)前部の海となる底部から 琴の音色に似た小さなきれいな音を聞かせ、驚かせたという逸話があります。
それが水琴窟の始まりと言われています。
その後、庭師たちが音質を追求して技を競い、
文化人にその風流を愛されてきました。

水琴窟は蹲踞前部の海の底に小さな穴を開けた甕(かめ)を伏せて埋める構造と、手を洗ったお湯が穴から水滴となって甕底に溜まった水面に落ち、甕中で共鳴するその音色が琴に似ていることから 「水琴窟」 と呼ばれるようになりました。

 

六古窯で作られた陶器の甕をうつ伏せて甕底の中央に穴を開け、甕の下に水が溜まるようにしています。
その水面に柄杓(ひしゃく)で掛けられた水が甕の穴部から滴り、大きな水滴となって水面に落ち水音が甕中で共鳴しながら琴に似た美しい音色を発生し、その音が人の心を和ませる癒しの水音として珍重されてきました。
水琴窟の音は「水琴音」と呼ばれ、流水音と水滴音の二つの音に分類でき、手を洗うと流れた水が小石や甕の縁を伝って賑やかに流水音となり、そして穴から水滴となって甕底に溜まった水面に落ちる水滴音とが重なり合い、やがて水滴音が静かに響きます。
甕の大きさ、水の深さなどの絶妙なバランスで、水滴音は一つとして同じ音はなく、その余韻もまた違います。
この水滴音と水滴音の間の余韻も重要とされています。

水琴の音色に魅せられて

私が最高の水琴窟に出会ったのは岡山県高梁市の吹屋ふるさと村の広兼邸でした。
その水琴窟の音質・リズム・甕中の共鳴音は最高で、庭師の私としては自然を生かした茶庭や京都の坪庭に匹敵する逸品の芸術品だと思いました。

水琴窟は備中松山城の城主である茶人・作庭家、そして芸術家でもある小堀遠州が、洞窟内の天井から落ちて反響した水滴音をヒントとして発明されたと言われています。
その技術を庭師に伝え、個々に工夫が重ねられ、人々の心を癒やす水琴音は江戸から平成へと伝えられてきました。最近では外国人にも日本文化を代表するものとして知られています。

私は、先人の知恵が集結した水琴窟を、もっと手軽に現代の庭園に取り付けられればと思い水琴窟研究に没頭しました。
大がかりな造園工事を必要とせず、現代庭園に手軽に設置できるよう、従来のものと違った地上型の水琴窟の製作を試みました。
十数年で数十個の甕を犠牲にし、甕の材質や大きさ・底水の深さ・水滴の落下点などの微妙なバランスの組み合わせを研究し、地上でも美しい共鳴音を奏でる甕の製作に成功しました。
また、美しい水琴音・さまざまなリズムを奏でるために必要な水滴を作り出す水滴板も、兵庫県の支援を受けて開発しました。
水滴板は甕上部で取り外しできるので、甕底に溜まった木の葉や泥などの清掃が簡単にできます。
長年の試行錯誤の結果、古の水琴窟にも劣らない地上型水琴窟が完成しました。
その水琴音は、騒音の中で暮らし疲れた現代人の心を癒やす最高の音楽ではないかと思います。
日本三大上水道の里 “播州赤穂”から美しい水琴の音色をお届けします。
長棟式水琴窟に、一度耳を澄ませて頂ければ幸いです。

 

さらなる音色を求めて「水楽器」

最近では、より美しい音色の水琴音を求めて、生誕400年を迎えた有田焼の磁器壺を使った「水楽器」を研究しています。
水音に対する探求心は尽きることがありません。
有田焼の磁器壺を使った「水楽器」は、桃井ミュージアムの「水琴窟の庭」に展示致しております。

桃井ミュージアム

水滴を作る鳴り板は、石・陶器の性質を分析し、飽きのこない落ち着きのあるリズムを奏でるよう工夫をしています。

 

長棟 州彦 Nagamune-Kunihiko

 

父の代から40年造園業を営んでおり、茶道・書道・陶芸などを趣味としている。 地元に伝わる幻のやきもの【赤穂雲火焼】を復元し、作陶活動に励んでいる。
常に進化を求め考案することが大好きで、環境緑化に配慮し開発した木製地下支柱【エコルート】は発明協会の近畿経済産業局長賞に輝いた。
最近では、地上型水琴窟の開発に没頭し、その功績が認められ、
【兵庫県技能顕功賞】を受賞した。