環境緑化新聞  2012年(平成24年)12月15日 水曜日

「鎮魂の音を奉納する造園家」義士たちの心のふるさとに

長棟造園 長棟州彦さんに〝造園家人生〟を聞く

―今日は赤穂市内の水琴窟の事情についてお話願います。

高梁の先に「吹矢ふるさと村」というのがありまして、そこの広兼邸の水琴窟の音色が凄い。

長棟 それは岡山の方が作られたのですが面白いことですし、日本の文化にも匹敵しますし、代表するものでもある。
吹矢ふるさと村から30分ほど行ったところ。石垣がずっとある、広兼邸と言います。
昔、ベニガラで大金持ちになった家です。底に水琴窟があって、それはもう生でも聞こえます。埋め込み式です。

-泉岳寺へ寄りまして、長棟さんの寄贈された水琴窟の音を聞いてきました。あの甕は光沢もあってなかなかいい甕と思いますが、あれはどこで焼いたものなのですか?

あれは、こういうのを焼いてくれと石州瓦という日本海の寒い時でも凍てないように釉薬を塗って1350度まで上げて焼いたものです。
私も陶芸しますので、最後をくっと轆轤であげます。割と薄いんです。それと、高梁では石州では作家、陶芸家が来て瓦を焼く釜もあり、その系統の甕もあるということです。だから、広兼邸もおそらくその甕が入っているのだろうと思います。

-大きさは?

姫路城にあった水琴窟のサイズをヒントにしました。埋め込み式で今もあります。現物を触って測れませんから、手の大きさぐらいの穴が開いたそういう甕が姫路城に出たので、それをヒントにしました。歴史博物館に、その姫路城の甕があると思います。それで、展示されているその甕を遠くから差しで測って、その甕を実際にやってみると実際に音が出るんや。

-泉岳寺にも花岳寺さんにも寄贈されていますよね。

水琴窟を3つ、全部大きさが違う。それぞれ音が出るようにしたやつで、工夫しています。

-最初の水琴窟との出会いというのはいつ頃だったのですか?

僕ね、やっぱり吹矢ふるさと村の広兼邸の水琴窟なんです。リズムガ良いんですわ。
造園で行ってたんです。それで、粘土が出てきたのがきっかけで30年ぐらい陶芸をしてるんです。土とね、焼き物と甕、水琴窟、造園、皆関連しているんですね。これは面白いものができるんと違うかなと思ったのが最初なんです。折角、文化として江戸からずっと流れてきて、消えないで続いているというのは良いと思うんですが、もっと現代に合った形ができたらいいなと。これはずっと消えないと。それで、竹筒で聴くのはナンセンスで、直に音が聴ける生音で聴く方法がまず一番。
音も綺麗ですよね。それでその音を聞きながら昼寝でもできるような空間が造園にあったらなというのがきっかけです。まあ道楽の域やからね。焼き物も道楽、遊ぶことが好きという感じでね。

-赤穂の出身地でいらっしゃるということですが、何か特別な思いがあってあそこに寄贈されたのですか?

花岳寺さんにね、観光客が赤穂に来たら大石内蔵助と義士に敬意を表して水でも掛けてもろうて、静かな音が聞こえたらいいなという発想で。大石内蔵助のことを調べたら、備中高梁の松山城の明け渡しに一年ほど行っておるんですわ。自分のところも5-6年後に明け渡してるんですが。そこの城主は9年ほど小堀遠州がお殿様やってね。

-もともと松山城は小堀遠州が関与していたんですよね。

そういう流れと、残務整理に大石内蔵助が行ってやね。残務整理しながら水琴窟の音でも聴いて楽しんだであろうと。50年ほど差があるんですけど、そういうロマンガあってやね。頼久寺の和尚に聞いてみたら、大石内蔵助がその時に白い牡丹を用意してくれないかとか、好きなことを言ってるんですわ。それで大石さんは寒牡丹が好きやという流れがあって、その時にそういうつながりがあったということですわ。

-松山城で聴いたら、正味1年7カ月いたそうです。当然、よく行っていたお寺として松連寺や、おそらく頼久寺も来たんじゃないかと聴いたら、こんなに近場にあるのだから来ないはずは無いといっていました。日常的にお茶飲みに来たり、弾問等したかどうか分かりませんが、そんなことをしにここに来たんじゃないかと。まして、小堀遠州という有名な作家の庭園があるのだから。

そうそう、小堀遠州と大石内蔵助の間に五十年の差があるんでね。小堀遠州が作った。それがどのようにして伝わったのか、大石内蔵助もお茶会の時に水琴窟の音を耳にしとるかもしれないし、江戸預かりになって切腹する前にお茶会で古の音を聞いてこの世を去ったのかもしれないなと。何度も高梁に「水琴窟はないですか」と聞きに行くんですけどね。

-当時の水琴窟は排水装置ですから、まだそういう音を楽しむという意味で進歩していたか分からないんです。文献が無いんです。

ただ、18歳の時に小堀遠州は師匠の吉田織部を吃驚させた、いうのはどこかにあるんですけどね。
白い牡丹があまりに綺麗に咲いているので、これを赤穂に持っていきたいから10株ほど用意してくれ、と。それで大石さんは寒牡丹が好きだと。白い牡丹が寒牡丹になっとるわけです。だけど本当は白い牡丹が好きだったわけだから、観光客には白い牡丹で牡丹園作っても値段が上がるいうわけで。これは和尚さんのお話です。

-長棟さんの水琴窟の壺は見ましたが。

そこで手を洗うと後から音が聞こえるというわけです。きれずに今の時代までその音は残っとるからね。

-埋め込み式の水琴窟はいくつか作られてきたと思いますが、何箇所くらいどの辺で作られましたか?

そうですね、5ヶ所くらいでしょうか?姫路の先の福崎にもひとつあります。それから赤穂に三つと姫路に一つ。全部で5つの埋め込み式です。それから自分の自宅に2つ造ってあります。ギャラリーですが、是非見に来てほしいんですわ。

-ホームページ「水琴窟工房 長棟造園」ですね。

日本文化というのはやはり音というか、静けさというのがひとつのポイントになるかもわからへんし。

-すでにもう水琴窟工房という名をつけてホームページに出すくらいですから相当熱心ですね。

そらもう、朝4時か5時からね。自分の家にもありますし、洗面台になってるのもあります。そういう風に、水のバリエーションで音が出るようになっているわけですね。
それで赤穂は三大上水道でして、神田と福山と赤穂なんです。それで唯一残っているのが赤穂です。だからもっと千種川の水を利用して、足湯をしたり水がモニュメントで沸いたりしたら良いと思うんですが、赤穂市は観光に今ひとつ力が入っていなくてそれがわからへんのです。ほんまは備前焼のパイプ土管が入ってずっとつながっていたんです。

-まだ上水道のそこには水が流れているんですか?

あるんですが、繋がっていないんですわ。ですからそれを復活して観光になるんや。そのくらいの量で楽しむというのは水琴窟くらいしかないんです。そこに僕は目をつけてね。

-その上水道の水源地というのはどこなんですか?

千種川の水ですわ。千種川の上流です。そこからずっと土管で飲み水をね。とってきたわけですね。

-その名残があると。

そうです。ちょっと繋げば流れるんやけどね。だから、赤穂もそれを観光にしたらええんやないかと思ったんです。
だからホームページにも「三大上水道の里」と書いてあるんですわ。

-それから、この地域の雲火焼というのは、現在復活していますよね。これは長棟さんが力を入れて復活されたのですか?

これも話が長くなるんやけど、取材があって山を買って造園資材置場にせないかんなと思って山を削っていたら、粘土が出てきてね。
水琴窟を演出によって高めるいうことは今からの時代不可能やから、いろんな楽しみ方を出来た方がいい。リズムもいろんなものがある方が面白い。それからやはり、水琴窟の基本は柄杓で水を掬って手を洗ったあの量が最高なんです。水道のようなもんでは音がね。
やっぱり一瞬パラララとなってポッポというね、何回もそうしよったらたどり着きましてね。だから、人間が水を掛けないといけないという、子安観音に掛けたり、お地蔵さんに掛けたり、そういう作法があって音が聴けたらええのになと思うんです。

水琴窟は、造園と焼き物があるから良いと僕は思う。
僕は造園をするまでは造船をしてまして、鋳物と陶芸を結びつけたのがきっかけで水琴窟ができたわけです。まさか学生自分に体験したことが生きてきたとはね。そこら辺が普通の人にはできない焼き物やったんです。その技術を利用して、水滴をうまく落せることができたらなと。

-甕を焼くということから、研究してやってきたという人というのは長棟さんだけです。赤穂に、義士たちのふるさとに水琴窟を作っている人がいるということで、3月14日が浅野内匠頭の309回忌ということでね。

花岳寺の和尚に、水琴窟を奉納させてくれと言いまして、悪いんだけど、泉岳寺に奉納させてもらうような手筈をしてくれませんかと言ったのが、わしの後輩ですから「すぐにやります」と。
排水とってないから、適当に水を抜いて一定の良い音が出るようにと。
それで最近では観光客が訊くから「水琴窟」て書いてあるらしい。今まで、お茶会したらそこで手を洗って聞こえるという程度だったんです。
あそこはひっそりしていていい所やからね。僕は銀山近くの昔からの建物のある街道ありますが、あそこなんか物凄い面白い演出が出来るなと思ってね。川は流れてるし静かやし。自動車は通らない。水琴窟にとっては自動車の音が一番嫌やね。

-水琴窟というのは自分が聞こえないけど聴こうとする心構えが癒されますよね。不思議ななところがありますよね。

だからね、ほんまに偶然に考えついた人っていうのは面白いこと考えついたなと思いますわ。
やっぱりね、造園屋でもこうすんやああすんやと一切させたらできませんわ。そこになんぼか難しい問題がたくさんありまして、一年や二年じゃ出来ない。モノを造形するんは神業じゃないとできんのですわ。不思議なもんでね。そういうものがあらわれるのは、何か自分の後ろに守神が乗り移ったというか、閃きもやっぱり出てくるよね。

-でも工房を作ってまでとはすごいエネルギーです。

工房は基本的に赤穂の塩とかじゃなくて、自分が何か他の物を作り出したいという気持ちが強かった。だけどなかなか難しいし、実際お金に繋げるのも難しい。モノを作る人は、ゼニ・カネに追われたらやっぱり難しいところもあるんでね。好きなことを長く続けられる、そういう面白さがあるなと。
外国までも行けますよ。外国人が五人おったら五人ともが「オー、ワンダフル」となりますよ。僕の師匠がメキシコで空手の道場をしてまして、「お前らな、オープニングする時に、持ってきて作ってくれるか」と言われまして、ゼニ無いさかいにあれやけどね。「日本の文化というのはこういうのも文化やで」言うとんのですわ。この音は昔そのままの音やからね。
それとね。小さい甕でやったらどうかなと。「あ、掘った」で終わりじゃね、拘りをもっとるからええんや。先日も伊勢神宮に行く前に信楽に寄りましてね。いろいろ見てきてね。そしたら信楽の人がね、蹲踞て水の演出をするやつをね、しとんのやけど、小さいからね、ポンプで循環してもそういういい音を出せないところにだめなところがあるんやて説明したんですわ。やっぱりそれは落ち着く音を出せる条件をね。

-大きな甕を作ったらもっと売れるわと。

だけどね、彼等なりにわかっとたらええけど、わかってないからね。そこまでようせえへん。ええとこまできてるんですわ。僕らがやろう思ったらできるんですわ。やっぱり音を求めとんのやから、その澄み切った音をね、と思う。余韻が出てこないとあかんからね。だから、近くに備前があるんでね、備前の甕を使わな、古備前はよう使わないのでね、そしたら石見の甕が温度も高いし。
僕らは造園業ですから、拘ってしとるほうがいいんです。売れたら高く売ればいいんです。大衆に売るなら安くしたらええんです。

-本日は貴重なお話をありがとうございました。